幡多・マーケット「海辺の日曜市」のブログ

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、2020年3月から開催を中止しています。 再開が決まりましたらお知らせします。

2012年01月

直前の告知となってしまいましたが…。
 
昨年9月に四万十市で開催された「はたフェス2011~今年は四万十!~」
参加者もパフォーマーもスタッフも一緒になって盛り上がったあのイベントが、今年も開催されます!
 
しかも場所はここ、黒潮町!!!
黒潮町の入野の浜を中心に、5月19日(土)~21日(月)にかけて開催します。
 
はたフェス2012の実行委員会を立ち上げて、これから企画運営していくわけですが、そのために、明日の夜、実行委員会の設立に向けての準備会(説明会)を行います。
参加自由ですので、興味がある方、お時間がある方はぜひご参加ください☆
 
私も仕事兼プライベートで参加します(*^。^*)
 
 
はたフェス2012 in 黒潮町 説明会&懇親会
 
■日程 2012年2月1日(水)
■場所 黒潮町入野 「海のバザール」
      ※手打ちうどん「ほうばい」さんがあった休憩所です
■スケジュール
  18:30~19:30 説明会
  19:30~21:00 懇親会
■入場料・会費 なし
■参加資格 なし
      ※去年のはたフェスの様子はこちら → http://hatafes.com/
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事務局Kazuです。

高知工科大学での観光関係の講座の前に、
久しぶりに
オーガニックマーケットに行きました。

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ウェルカムボードには海辺の日曜市のフライヤーにあわせて、
1パーセントプロジェクトへの呼びかけと募金箱が・・・
感謝です!

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海辺の日曜市でもおなじみのみませやさん

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ささかさんも出店

ささかさんにはあすヒアリングをお願いしてます。
忘れていないかなぁー

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そのあと工科大でのウメバラ氏の講演
いつもの梅原節
ウメバラさんの話を聞くと、高知県で生きていくのが楽しくなります。
そのウメバラさんを取り上げたNHKのテレビ
プロフェッショナルが、2月20日月曜日
夜10時から放送されるそうです。

楽しみだなぁー

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さしすせそフェアの会場で、たくさんあるおいしいものの中から選んだのは、黒糖のデミグラスシチュ-
たっぷりの根菜と黒砂糖のコクがおいしくてあったまる一品です♪

waka

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おはようございます。
本日、黒潮町入野・早咲の加工施設にて、「さしすせそフェア~さの巻~」が行われています。

さしすせその「さ」は、砂糖。
今日は、会場にて、黒潮町産の黒砂糖を使ったおいしいものがたくさん食べられます。

天気もいいので、ぜひお越しください♪

午後2時まで。

waka

事務局Kazuです。

これから”絆”について書きますが、決してそういう社会的風潮を否定や非難をしているものではなく、
そのこと自体はこれからももっと求められるものであり大切なものであるということを、
まず最初に訴えておきます。

さて、本文です。

震災以降あちこちで使われている言葉、
昨年を象徴するものとして選ばれた漢字

”絆”

あるいはひらがなで”きずな”
カタカナで”キズナ”
ローマ字で”KIZUNA"

いろんな表現方法で”絆”が使われていますが、
どうもそれがしっくりこず、
私個人的には使うのをはばかれる感じがずーーとしていました。

そのことをなかなか声に出すことができなかったのですが、
この理由のわからない違和感は、こういうことではないだろうかと、
佐伯啓思氏著「反・幸福論」(新潮社)を読んで納得しました。

以下氏の著作からの引用です。

『今頃になってまた、「コミュニティ」が見直されたり、時には「絆」などと言われたりします。両方とも「共同体」や「縁」とはあえて言わないのです。「共同体」や「縁」は「ムラ」や「イエ」を連想させてしまうからです。
(註:「ムラ」「イエ」は旧民法の封建制の象徴とみなし、個人の契約、個人主義を目指す新民法へ移行するために、「ムラ」や「イエ」は攻撃に対象になってきたという歴史認識を持つことを前提に文章は書かれている。)
「絆」というのは、個人がある意味で自由に選びとり作り出すものです。それは偶然を引き受けようという「縁」とは似てはいるがまったく違った言葉です。
「家族の絆」にしても、「地域の絆」にしても、個人が決意して作り出すものです。
だけれども、「家族の縁」や「地域の縁」と言った時には、そこに、何か目に見えない超自然的なものが作用し、それを「縁」と表現すると考えるのです。
人々の結びつきは本当は偶然で、何か特別な意味もないのですが、この「超自然的な力」を信じたことにして、「縁」を必然とみなそうというわけです。』

著者は「絆」は個人が決意して作るもの
「縁」は超自然的な力によるものといいます。

つまり、「絆」はいつでも自己の意思で手放す、関係を切り離すことができる関係

どうも
私が”絆”という言葉に不確かな雰囲気を感じていたのはこのことだったのかもしれません。

被災地に求められるのは、いつ断ち切られてしまうかもしれない”絆”ではなく、”縁”ではないか。

黒潮町と気仙沼にはもともとカツオという”縁”があり、そこから婚姻関係や友人関係の”縁”が重ねられてきました。それはどちらかがその意志で作り出したものではなく、超自然的な力によってその”縁”に導かれたのです。

私たちの1パーセントプロジェクト(それはそのまま、気仙沼応援プロジェクト)は、”絆”より”縁”を大事にした、長い関係性を作っていく取り組みにしなければいけないように思います。

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先日行った銀座のお店で

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