前回の続きです。
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イメージできても、石黒の言う「国有林を将来にわたって守り育てるために、山奥の一軒家のさらに上流に、もう一軒どうやったら人間を定住させるかを現地で考えさせるためである」とは、何を意味するのか、現国家のいわゆる“知識人”は理解もできないと、次のような理論から落胆する。
「生きるためには、町から遠く離れた地に住むことをやめ、町の周辺にまとまって居住すべきだ。住み慣れた集落に住み続けたい気持ちは分かるが、勤め人なら転勤もある。農村だけが悲惨なわけではない。」(土居丈朗/慶応大学准教授)
「限界集落は消滅していかざるを得ない。これからは、消滅させない方法ではなくて、集落が崩壊した後のソフトランディングを考える時期に来た。自助、共助、公助が機能しなくなったら、高齢者は山を下りるしかない。山の上の一軒家のために、公共サービスを供給するコストを考えると、やはり無理があるといわざるを得ない。人が歩ける範囲をベースにしたまちづくりを『コンパクトシティー』と呼んでいる。これからの国づくりにおいて重要な考え方になる。」(猪瀬直樹/東京都副知事)
このような論者がいる一方、大野晃(長野大学環境ツーリズム学部教授・高知大学名誉教授)は以下のように指摘する。
「山の荒廃が保水力低下をもたらし、それが下流域のわれわれの日常生活に渇水や水害などの多くの問題を引き起こす。都市機能を充実させ、山村に暮らす人びとを都市に集めて住まわせることでは、日本の未来は開けない。いまこそ、山の荒廃が都市生活者の荒廃を招くことの重大さを考え、林業・山村に税を投入し、その再生に国民総意で取り組みことが急務である。高齢者が街へ下りなくても、山村で生活できるような手だてを考えることが血の通った対応である。人間が生きていくための最低限の生活条件である『ライフ・ミニマム』。限界集落の高齢者にとって、この『ライフ・ミニマム』の保障がいま、必要であり、その仕組みづくりが急がれる。」(大野晃著「限界集落と地域再生」高知新聞社刊)
限界集落が多数存在する中山間地域は、林野面積の80パーセント、耕地面積の40パーセントを占めているといわれている。その意味では農林産物の供給場所としては重要な位置を占める。
つまり、食料自給率40パーセントのかなりの部分を、日本の小さな集落が支えていると言ってもいい。しかも、農業者の7割は60歳以上、半分近くは昭和一ケタ以前の生まれだといわれる。ということは、日本の食料自給率のかなりの部分は、高齢者が支えている、ということである。
このような高齢者を「コンパクトシティーの国づくり」と称して、山村や農村から切り離してしまったら、日本の食料自給率はますます悪化、耕作放棄地の増加は目に見えている。さらに国土は荒れ、下流都市住民の住環境は悪くなり、そのための財政支出が多くなる、というのが、大野の指摘するポイントではなかろうか。
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子どものころ、たんすに入れていたらお金になると言われたいっぱい入れた
けど、一度もお金には変らなかった